綺麗なものを集めたら私まで綺麗になる気がして。
日記とエッセイの違いを調べてみたら、人に読ませることを前提にしているものがエッセイで、そうでない内向きのものが日記ということらしい。
ネットに上げている以上誰かに読ませるつもりで書いているけれど、カテゴリーに日記を作ってしまったら全部日記に逃げて「人に向けて書いたものではないから」と適当な文章になってしまいそうな気がしたので日記というカテゴリーを作るのはやめました。文章力を上げることは特に目的ではないんだけど、せっかくこうした文章を書く機会を作るなら「誰かに読ませる」ことを目的として・エッセイとして書いてみようかなと思います。
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普段は創作サイトで創作活動をしていますが、このサイトでは書きたいときに書きたいものを好きなように書いています。応援はありがたく受け取りますが、アドバイスやご忠告・ご意見などは不要です。
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てがりんく
instan templates.
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身内曰く「AIが作る文章は一見きれいで流れるような文章を書いてくれるが、全体を通して読むと結論が見えてこない。また短時間で整った文章を書いてくれるが、過去に自分が一文を半日かけて考えた文章に比べると全然面白くない。」ということだった。
身内は元々メールの返信文を考えるのにも3日悩んで苦労しながら返信するタイプの人間なので、時間が短縮されるのはかなり助かることらしいが、それでも自分が書いた文章の方が面白いと強く断言していて興味深いと思った。どう面白くないのか尋ねても、そこまでは分からないということだったので私なりに考えてみることにした。
私は文章を書くこと自体は苦ではないが、正しい文法や言葉の使い方を理解して書いているわけではない。しかも書いているうちに頭の中で話題や考えが飛躍していくので「ところで」や「そういえば」を多用した文章を書きがちだ。そういうわけで、私の文章は正しさや綺麗さには欠けている自覚がある。ただ、私は自分で書いた文章は読み返して面白く読んでいる。それは私が私のことを良く知っていて、その時感じていた私が興味のあることを私が読みやすいテンポや流れで書いているから心地よく、楽しく読んでいるんだと思う。つまり基本的に自分が書いた文章は自分は楽しめる、というのが前提で。
これは私だけではないと思うのだが、文章を読むとき、人は「書いた人」を無意識に意識していると思う。小学校教育の賜物かもしれない、この時作者はどう思ったのか答えよ、とテストで何度も問われたように。だから文章にその人がどう考えてこの文章を考えたのか、どう思ったのか、といった体温を探しているように思うし、自分と違う考え方や言葉の使い方の癖に好感や違和感を感じてその作者の人物像や背景を想像してしまう。その結果、その作者に興味を持って文章の内容以上に好感を持って作者買いやこの人の文章はどれも面白いと感じているような気がする。また、好感だけじゃなくて違和感・反感といった部分は意外と大事だと思っていて、好きの反対は無関心というように良くも悪くも引っかかりの無い文章は読んでもすぐに忘れてしまう。読む人になんらかの感情のひっかき傷を創ることが面白い、興味を引く文章の第一段階なんだと思っている。
体温という言葉を使ったがこれはAIを使わなくてもおそらく理解しやすい話で「この商品お得ですよ」という言葉より「実際使ってみて○○で便利だし、ずっと使い続ける事を考えるとお得です」などと言われた方が興味を持つ。同じように書いた人が生きていて私と同じ心を持っていて、どう感じて思って、それを読む人のために考えて書いてくれたことが伝わる文章に体温を感じる(体温もまた心に引っかかりを与える)。取扱説明書に面白さを感じないのと同じように。
ということはこれはAIに限った話ではないということになってしまうけれど、
一度まとめるとAIが作る文章はきれいでまとまりがあり読みやすい。また好感はともかく、反感を持つような文章を書かない、おそらく人に嫌な思いをさせるような文章は書けない。そのため、人の心に引っかかりを持たせないため読み終わった後に結局なんだったっけ?と感じさせ面白さを感じさせないのではないか……私はそう考えた。